小池希望の党は絶望に終わる

鮮やかな演出で一時は主役に躍り出た小池新党「希望の党」ですが、どうやら結果は
絶望に終わりそうです。その理由をみてゆきましょう。



 流れを変えた排除発言

当初破竹の勢いだった希望の党ですが、前原民進党代表との会談後の29日に、小池氏が「全員を受け入れることはさらさらない」と発言し、事態が一変。安全保障、憲法観といった主要政策と一致しない民進党の立候補予定者は「排除する」と言い切りました。

これが「話が違う」と民進党リベラル派を刺激し、立憲民主党の設立希望の党の失速をもたらしました。

また「三都物語」と称した選挙協力も空中分解。愛知県の大村秀章知事の党顧問就任キャンセルや、連携ご破算も痛いです。しかし、何といっても音喜多議員の問題は小池氏の体質にかかわるものだけに痛かったですね。

衆院選の結果予想については

 音喜多都議の離反にみる小池氏の体質

都民ファーストの会を衆院選の直前に離党した音喜多駿都議は、毎日のようにブログを更新、SNSも使いながら都民に有益だと思える情報を発信。説明能力の高さで、メディアへの出演も多いです。

その音喜多氏が、小池百合子都知事に見切りをつけたのはなぜか。それは情報公開がなされないことにありました。

 情報公開は武器だったはず

情報公開は、小池氏が都議会自民党と対峙する際、「戦いの武器」にしたものです。
「都議会のドン」こと内田茂都議などを「黒い頭のネズミ」に例えて、「ブラックボックスのなかで都政が決まっている」と批判、「いつ、どこで、誰が、何を決めたか」をオープンにし、都政の「見える化を図る」と、宣言しました。

都政改革本部を設置、会議をすべて公開するオープンルールのなかで改革を推進、築地の豊洲移転も東京五輪の各種施設も、安全性と予算の膨張を都民にオープンにしつつ再検証。「盛り土問題」の発覚などで移転を凍結し、石原慎太郎元都知事らと都の官僚などの責任を追及して喝采を浴びた。

 見えた小池氏の本質

都民に向かっては「見える化」をアピールしながら都民ファーストの会で進むのは、都議にも党員にも詳細を知らせずに党を運営するブラックボックス化でした。

知事選の最中、「私はルビコン川を渡りました。あなたたちと一緒にやっていきたい」という電話を受けて以降、小池氏を支えてきた音喜多氏が体験したのは、最初は伴走、やがて周囲を従わせて自分が独走する小池氏の「独裁への道」の1年2ヵ月だったのです。

昨年7月31日、熱狂のなかで小池都知事が誕生。音喜多氏らかがやけTokyoのメンバーは、9月20日、自民党員でありながら「小池指示」を打ち出した本橋弘隆・豊島区議ら「7人の侍」とともに、政治団体都民ファーストの会を立ち上げました。

この頃、音喜多氏と小池氏、及び小池氏を支える東京都特別秘書の野田数氏との関係は、「文字通り、希望にあふれるものでした」という。

「日常、我々が接触しているのは野田さんですが、ひんぱんに会って、いろんな案件を協議していました。上下関係はなく対等という立場。

野田さんにお任せしますよ』といった細かな案件でも、『いやいや一緒に考えましょう』と、ミーティングを重ねました」

関係が少し変化するのは、東京都の人事院勧告(10月18日)で「特別給は3年連続の引き上げ」となった時。音喜多氏らは、かがやけTokyoの路線を踏襲、反対の立場を取ったが、「与党が予算に反対するとは何事か」と、野田氏は怒り、隙間風が吹いたといいます。

野田氏の力が強まるのは、10月30日、小池氏が主宰する「希望の塾」が開かれ、事務局長として、塾の運営と候補者選定に決定権を持つようになってからです。

これからは何を決めるのも小池氏独断でブラックボックス化してしまった。最初に行動を共にした若狭氏もつんぼ桟敷に置かれています。

 公示前の勢力すら困難

予想すると公示前の57を維持できるのか疑問である。むしろ立憲民主党にも劣るかもしれません。

小池氏は選挙後どうするのか。シナリオでは都知事をやめ国政に打って出るつもりであったろうがシナリオは崩れてしまいました。正念場である。

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